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ヒポクラテスの歯磨き [歯科の民俗学]

 ドラッグストアへ行くと,歯医者も知らないような,デンタル・ケア商品が並んでいます。これらのデンタル・ケア商品を,用途に応じて使いわけるように,患者さんに指導できるのか,と心配になるほどです。

 すると,昔は,どんな歯磨きをしていたのか,気になるものです。江戸時代もいいけど,ギリシア時代を考えてみます。

 なぜ,ギリシア時代かというと,こじつけがましいのですが,ヒポクラテスがいた時代でもあるからです。ヒポクラテスは,ヒポクラテスの誓いとか何とか,知っている人は知っているでしょうが,医聖なのです。(そうだ,マンガか?)

 このヒポクラテスが持っていた医学に関する知識は,結構なレベルにあって,小さな分野に限ることなく,医学全般にわたって素晴らしい知識をもっていた,と言われています。

 そんな,医学に関する知識と医術をもっていたとされるヒポクラテスのデンタル・ケアを,ボクが採点してやろうと,僭越にも思ったわけです。以下,ヒポクラテスのデンタル・ケアです。

 歯磨き剤として,野ウサギの頭の骨を焼いて灰にしたものと,大理石,そして白石を粉にしたものを,各々等量に混合したものを使っていた。

 <これは,ほとんど魔術の世界の処方ではないかな。>

 この歯磨き剤を,ヒツジの毛を束にしたものにつけて磨いていた。

 <ブタの毛を使ったり,ウマの毛を使ったりもあるから,ヒツジでもいいでしょうかね>

 さて,磨いた後のうがいについても,指定があるのです。

 磨いた後は,イノンドとアニスを砕いて粉末にしたものを白ワインに溶かして液をつくり,これを口に含んで歯に作用させる,という。

 ワインのアルコール成分で,若干の消毒効果はあるかもしれないが,イノンドとアニスは,どんな効果があるんだろう。

 アニスは,あのアニス酒の味だろう。口に含んだ途端に,ゲボっとくるのでは?イノンドも,おそらくではあるが,香辛料だろう。このうがい薬では,うがいをしたくないなあ。

 以上より,医聖ヒポクラテスのデンタル・ケアは,器械的なブラッシングの効果は評価できるが,歯磨き剤とうがい薬に魔術臭があり,科学的ではありません,という評価です。意外と,そのうちですが,通販とかで,ヒポクラテスのデンタル・ケア製品が売り出されるかもしれない。別に,悪い効果はなさそうですが,彼の歯磨き剤では歯が磨り減るかもねえ。



不動明王と愛染明王の犬歯 [歯科の民俗学]

 仏像では,釈迦仏の如来像が代表で,一番ありがたいと思います。

 次が菩薩像で,これは観音像と地蔵像などです。浅草寺は,正月の初詣に出かけることになっていますが,浅草観音は,見たことないけど(秘仏),観音像なのでしょう。

 葛飾柴又の帝釈天は,天部像という仏像のひとつらしい。大阪の駅名,としか知らないけど,四天王寺にあるのも天部像なのでしょう。

 さて,明王像といえば,不動明王で,お不動さんとして有名でしょう。

 不動明王像は,歯を見せています。上顎犬歯が,通常よりも大きくて,低位の唇側転位をしています。この犬歯の不正により,不動明王の怒りを表現しているらしいのです。明王像の怒りは,私たちを苦しめ,邪魔をするものに対しての怒りを表しているのでしょう。ですから,何か,自分を苦しめ障害となっているものを排除したいときには,不動明王像を拝む,ということになるのでしょう。

 もう一つの明王像として,愛染明王像があります。愛染明王像の上顎犬歯は,低位唇側転位ですが,萌出方向が人間とは逆で,上方へ向かっています。こういう犬歯の生え方を示す人間はいません。では,愛染明王の犬歯が表す怒りとは,人間ではない怒りということになるのでしょう。(そう考えるらしいのですが)

 愛染明王の怒りは,人間の持っている人間らしい感情ではなく,人間の持っている野獣性,たとえば愛欲などを象徴している,と考えることもできます。すると,人間として正しくない感情や欲情に悩んでいるときは,愛染明王像を拝む,ということになるのでしょうか。



江戸城内の医療 [歯科の民俗学]

 典薬頭が旗本クラスの高い格式を有している半井出雲守と今大路右近の世襲でありましたが,小普請組支配にあり,江戸城に出仕することはほとんどなく,医療行為は行っていなかったことは,先のブログで書きました。

 では,江戸城内の医療を担当していたのは,誰でしょうか。

 法印とか法眼という名称を,時代劇のなかで耳にしたことがあると思います。彼らは奥医師であり,法印と法眼は古参医官に対する称号です。なお,法印の方が法眼よりも上位であり,内科を担当する本道医にのみ与えられた称号です。

 法印と法眼は,併せて16名が位置されていて,隔日交替で宿直していました。

 表御番外科と表御番医師もいました。彼らの診療対象は,将軍以外の,江戸城内に勤務あるいは宿直している武士です。

 表御番外科として,12~13名の医官が隔日で江戸城内に宿直して,緊急・応急の医療にあたっていました。

 表御番医師も隔日で宿直していましたが,彼らの治療対象は,不治の病と呼ばれていたもので,これは現在の慢性疾患に相当します。

 表御番外科の方が内科系統を担当する表御番医師よりも上位にあったことは,江戸城の機能は,あくまでも城であり,戦闘時を想定していたからと思われます。



典薬頭 [歯科の民俗学]

 江戸時代の医療水準を考えるとき,その時代の最も進歩した最高水準の医療を探し出せば,おおよその想像が可能になると思われます。

 では,江戸時代,最尖端の医療の提供を受けることができたのは,どのような人でしょうか。それは,当時の支配者の最高位にあった,徳川将軍でしょう。

 そこで,江戸城内で将軍,上様に対して行われていた医療は,どのようなものだったのか,を調べてみました。

 江戸城内の医療体制および医師は「若年寄支配」とあります。う~ん,ちょっとピンと来ない。「若年寄支配」といわれると,「若年寄は何でもかんでも医療について知っている」と感じませんか?「若年寄支配」という表現は,江戸時代ではふつうに使われている表現ですが,現代風にこれを捉えると,「医療体制の最高責任者は若年寄だった」という程度で,けっして若年寄が医療に精通していたわけではないでしょう。

 当時の医療を診療科目からみると,本道と雑科に分けることができます。雑科には,外科,鍼治,口科および眼科が含まれており,これらは,本道とは別の医師が診療に当たっていたと思われます。

 さて,江戸城内にあって,医師としての最高位として君臨していたのが,典薬頭です。

 典薬頭は,半井出雲守と今大路右近が世襲していました。両氏について,若干の説明ができます。

 半井出雲守は,半井家の出身者で,代々,出雲守を世襲したのでしょう。この半井家ですが,和気家の後裔といわれています。なお,和気家は平安時代からの医家の名門です。なぜ,和気家の後裔が半井を名乗ったのかは分かりませんでした。

 また,今大路右近は,丹波氏の末裔だそうです。丹波家は,安土桃山時代から名声を博した曲直瀬家の流れをくむ一族で,さらに後世今大路を名乗ったとありましたが,その詳細は不明です。

 江戸城内の医師の最高位である典薬頭は,平安時代からの名門である和気氏と,安土時代から名医の誉れ高い丹波氏の,それぞれの末裔が世襲していた職業ということになります。

 では,半井出雲守と今大路右近は,江戸時代ではどの程度の格式の家柄だったのでしょうか。持高が分かっていますので,これを転記しますと,半井出雲守が1.500石で,今大路右近が1.200石とありますから,旗本クラスでしょう。つまり,格式は,かなり高かったと考えてよいでしょう。

 また,半井出雲守と今大路右近の支配は,小普請組支配柳の間請とあります。旗本クラスですから,小普請組支配は妥当でしょう。興味あることに,小普請組支配ということは,江戸城営中に出仕する必要はなかった,ということです。つまり,半井出雲守と今大路右近は,実質的に,医療行為を行っていなかったということです。



江戸時代の医療体制 [歯科の民俗学]

 江戸時代の医療体制を考えるとき,江戸城内の医療体制と,江戸城外の医療体制とに分けて考えると分かりやすいと思います。

 江戸城内の医療体制としては,次のような医師が配置されていました。

(1)典薬頭
(2)表御番外科
(3)表御番医師
(4)奥御外科
(5)奥御鍼治
(6)奥御医師
(7)奥御口科医師
(8)奥御外科医師
(9)寄合医師
(10)御目見医師
(11)小普請医師

 また,江戸城外の医療体制としては,次のように医師が配置されていました。

(1)小石川養生所医師
(2)医学館
(3)町医者
(4)牢屋医師と非人溜



歯がための儀式(その1) [歯科の民俗学]

 歯がための儀式は,正月元旦に行われる儀式です。

 その起源は,正月に膠牙トウ(コウガトウ)という,硬いアメをなめて,歯の根を強くすることで,健康増進と長寿を祈る,という中国の風習にあります。

 わが国でも,正月元旦の行事として,平安時代から行われていました。歯がための儀式に並べられた料理は次の7杯(品)です。

 大根
 瓜の串刺し
 押し鮎
 塩鮎の煮たもの
 イノシシの肉
 シカの肉

 上の料理を合計すると,6品しかならないでしょう?そう,瓜の串刺しは2種類つくって,それで合計が7品となります。

 イノシシとシカの肉の代わりに,トリ肉,たとえば雉(キジ)や鴫(シギ)などを用いることもあったようです。これは,イノシシやシカが捕りにくかったから,と考えたいのですが,仏教思想の広まりからの殺生禁断によるもの,とする方が歴史の教科書的には正解でしょう(詳しいことは不明!なのですがね)。

 この歯がための儀式は,ひじょうに重要なものでした。歯科医療が未熟な時代でしたし,調理方法も限られていたので,歯を失うことは健康を失うことに直結していたのです。

 歯がための儀式は,現在では一般家庭の正月儀式からは姿を消していますが,天皇家では引き続いて行われているそうです。

 天皇家の正月元旦行事は,四方拝に始まり,歳旦祭,晴れの御膳,「朝食」へと続くそうです。晴れの御膳は,後醍醐天皇頃から儀式的なものとなって,箸をならす,だけとなっているそうです。

 天皇陛下の実際のお食事は「朝食」となりますが,これは皇后陛下とお二人だけでお召し上がりになる,ということです。この「朝食」の「祝い膳」に添えられる「ひしはなびら」が,歯がための儀式と関係がある,と考えられています。

 また,正月元旦から3日にかけて「御薬を供ずる儀」もあり(現在も行われているかは不明ですが),これは「歯がため,屠蘇,白散,ドショウサン」を献上し,「膏薬」を供ずる,ことだそうです。



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